祭りの豪華さには、出どころがある
なぜ山あいの小さな町に、これほどの祭りが残ったのでしょうか。彫刻と彫金、漆で飾られた曳山。細部まで磨き上げられたおわらの唄と踊り。どちらも、生み出すにも受け継ぐにも相当の財力と人手の要るものです。その出どころをたどっていくと、二つの商いに行き着きます。蚕種と、和紙です。
蚕の卵と紙が、藩を支えるほどの富を生んだ
蚕種とは、蚕の卵のこと。養蚕が盛んだった時代、質の良い蚕種は各地の養蚕地が競って求める商品でした。八尾は蚕種の産地として全国に名を知られ、卵を求める商人たちがこの坂のまちへ通いました。絹そのものではなく、絹の源を売る。山あいの町が選んだのは、そういう商いでした。
もうひとつの柱が八尾和紙です。丈夫さで知られたこの紙は、薬を包む紙として富山の売薬とも深く結びつき、まちのなりわいを支えました。紙漉きの技は、いまも八尾に受け継がれています。
二つの商いが生んだ富は、富山藩の財政を支えたと伝えられるほどでした。城下町でもないひとつの在郷町が、藩の台所を支える。それだけの経済力が、この山あいの町にはあったことになります。祭りの豪華さを不思議がる目は、順序が逆だったわけです。まちが先に豊かで、祭りがそれに続きました。
富は消えても、注がれた先が残った
町人たちは蓄えた財を、曳山の彫り物や漆、おわらの唄や踊りといった芸事に注ぎ込みました。時代が変わり、商いの姿は変わりましたが、財の注がれた先——山車と唄——は、人の手で手入れされながら今日まで残りました。
5月に曳山が坂を上がり、9月におわらの音がまちに流れる。豪華な祭りは、絹と紙で栄えた時代の記憶がいまも動いている姿です。このまちの豊かさは、帳簿にではなく、唄と山車に記録されて残ったのです。