
答えは、井田川がつくった段丘
なぜ八尾は、これほど坂ばかりのまちになったのでしょうか。答えは足元の地形にあります。八尾のまちは、井田川沿いにできた段丘——川が長い時間をかけて削り残した、一段高い土地——の上に築かれました。川の側からまちへ上がる道は、どこを通っても坂になります。坂は後からできた名物ではなく、まちの成り立ちそのものです。
まちの縁に立つと、川に面して長い石垣が積み上げられているのが見えます。段丘の際まで土地を使い切るために築かれた石垣の上に、家々がせり出すように並ぶ。坂と石垣は景観の飾りではなく、限られた高台に町を載せるための構造でした。川沿いの道から見上げる石垣の高さに、その苦心のほどが表れています。

坂の上に、商いのまちが載った
では、なぜわざわざ高台だったのか。川の増水を避けられる段丘の上は、人と物資の行き交う町を置くのに向いた場所でした。八尾は城下町ではなく、飛騨との交易の要所として栄えた在郷町だったと伝えられます。山道を越えてきた人と荷を受けとめる玄関口が、この坂の上のまちでした。人と荷が行き来した坂だと思えば、勾配のひとつひとつも違って見えてきます。
坂に沿って通りが走り、通りに沿って町家が連なる。平地の碁盤目とはまるで違う立体的なまちなみは、こうして生まれました。上の通りと下の通りをつなぐ小さな坂や石段が、いまもまちのあちこちに隠れています。路地の先が不意に空へ開けて、下を流れる川面が見えることもあります。
地図で見れば、数本の通りのあるまちにすぎません。けれど実際に歩くと、上りで息が弾み、下りで膝が張り、石段の一段ずつが足の裏に残ります。八尾がなぜ坂のまちなのか——歩き終えるころには、頭より先に足腰が地形を覚えています。