
夜11時、バスが去ったあとの坂道
夜の11時を過ぎると、八尾の坂道から人波が引いていきます。ツアーのバスが出発し、日帰りの人たちが駅へ下りていくと、さっきまで肩がぶつかるほどだった通りに、石畳の目地が見えるようになります。宵と同じ場所とは思えないほど、音の量も人の密度も変わります。下駄の音や遠くの話し声がはっきり届くほどの静けさが、坂の上から順に降りてきます。9月の初めの夜気は思いのほか涼しく、宵の熱気が引いた首すじに、山から下りてくる風が触れます。
変化は、一度には来ません。まず露店じまいの物音がして、人声が薄くなり、やがて通りのぼんぼりが端のほうから一つ、また一つと落ちていきます。明かりの数が減るたびに、残った明かりの色は濃く見えてきます。最後まで残るのは、音です。どこか遠くの通りをまだ流しているらしい三味線と唄が、切れ切れに坂を渡ってきて、それも途切れると、通りの脇を走る水路の音だけになります。
そしてその静けさの中で、町の人たちの踊りが続くことがあります。誰かに見せるためというより、自分たちのまちのために流すおわら。始まる時刻も通りも決まっておらず、始まらない夜もあります。それでも、この時間の町流しこそが本番だと考える人がいるのは確かです。
観光客の時間と、町の人の時間
おわらの一晩には、二つの時間が流れています。宵は観光客の時間。演舞や町流しが人垣越しに続き、通りは祭りらしい熱気に包まれます。夜が更けると、まちは町の人の時間へ戻っていきます。深夜のおわらが濃く感じられるのは、踊りが特別に変わるからではなく、まちが素の顔に戻るからです。
この交代の瞬間に立ち会うには、条件がひとつだけあります。終電や駐車場の閉まる時間を、気にしなくていいこと。人波と一緒に帰る旅程では、二つ目の時間は始まる前に終わってしまいます。
ぼんぼりの明かりだけが残った坂道は、昼間とは別の奥行きを見せます。夜風に当たりながら路地を歩き、遠くの胡弓に耳を澄ます。たとえ空振りに終わっても、深夜の坂のまちを歩いた記憶は残ります。その時間に町へ残っていられるのは、歩いて帰れる場所に眠る人だけです。