
結論、素泊まりは自由の別名
食事の付かない宿は損か。結論を先に言えば、逆です。素泊まりでは、夕食と朝食の決定権が自分の手に戻ってきます。決まった時刻に食堂へ向かう必要がなく、祭りや夕焼けの都合に食事を合わせられる。旅の時間割の主導権を握れるのは、素泊まりの側です。
夕食は、まちへ出ます。富山は湾の魚が身上の土地です。土地の人が暖簾をくぐる店で、その日の魚を確かめながら選ぶ。宿に食事が付いていたら出会えなかった一皿が、旅の記憶のいちばん濃い部分になったりします。
祭りの夜なら、踊りが終わるまで通りに残っていられます。食事の時刻に縛られないことは、夜のまちに長く居られることと同じ意味です。店は歩ける距離で選び、夜道をぶらぶら帰る時間まで含めて、素泊まりの夜は設計できます。
朝ごはんは前日の買い物で決まる
素泊まりの本領は、実は朝にあります。組み立ては簡単です。
- 前日のうちに、地元のスーパーや直売所で米やパン、卵を買っておく
- 台所のある宿なら、朝は米を炊くだけでいい
- 湯を沸かす道具と調味料の有無だけ、宿の案内で確かめておく
この買い物そのものが観光になります。見慣れない魚の名前、昆布締めの棚の広さ。地元のスーパーの棚には、その土地の暮らしがそのまま並んでいます。レジ袋を提げて宿へ帰る道は、暮らす人の帰り道と同じ景色です。
そして富山は米どころです。朝の白飯のうまさは、この土地の素泊まりに付いてくる無料の特典のようなものです。炊飯の予約さえしておけば、目覚める頃には家じゅうが飯の匂いになります。みそ汁の実を土地の海藻にするだけで、朝の膳はこの県のものになります。
古い家の台所に、炊きたての湯気が立ちのぼる——素泊まりの朝は、そこから始まります。
