ホーム読みもの › 黒部峡谷トロッコ電車、窓のない客車で谷風を浴びる

黒部峡谷トロッコ電車、窓のない客車で谷風を浴びる

記事の写真(準備中)

トンネルを抜けるたび、風の温度が変わる

トンネルの暗がりを抜けた瞬間、冷たい谷風が座席のあいだを吹き抜け、川の音が一気に大きくなります。黒部峡谷のトロッコ電車には、窓のない開放型の客車があります。ガラス一枚を挟まないから、風も、水音も、岩と緑の匂いも、そのまま体に届く。乗り物に乗っているというより、峡谷の空気の中を運ばれていく感覚に近いものです。トンネルに入ると音がこもって湿った冷気に包まれ、抜ければまた光と風が戻る。その繰り返しで、体のほうが谷の深さを覚えていきます。

見下ろすたびに川の色が変わる

宇奈月を出た列車は、黒部川に沿って深いV字の谷を遡っていきます。橋を渡るたびに、はるか下の川面がのぞきます。ダム湖の近くでは深い緑に沈み、流れの速い瀬では白く砕け、日の差す淵ではエメラルドに透ける。同じ川なのに、見下ろすたびに色が違います。両岸の岩壁はそそり立ち、谷の奥へ進むほど、見上げる空は細くなっていきます。

もとは観光のための鉄道ではなかった

この路線は、黒部川の電源開発の資材を運ぶために敷かれました。人を寄せつけない峡谷の奥に発電所を建てるため、資材と作業員を運んだ軌道が、のちに観光客を乗せるようになったという来歴です。小さな車両とゆっくりした速度は、険しい谷を縫って働いてきた鉄道の体格そのもの。窓付きの客車も連結されていますが、この鉄道の本領は、やはり吹きさらしの席で谷の空気ごと乗ることにあります。

終点で折り返す帰り道は、同じ線路なのに違う景色になります。行きに背中側だった岩壁が正面に来て、傾いた光が谷に朝と逆向きの陰影をつける。風を浴び続けた顔の冷たさも、往きと帰りでは違います。終点で折り返しても、谷の記憶は往復で別のものになるのです。