なぜ一本道に、これほどの屋敷が並ぶのか
富山市の北の港町・岩瀬の大町通りを歩くと、まず疑問がわきます。なぜこの一本道に、これほど立派な屋敷が並んでいるのか。間口の広い町家、黒く光る太い梁、奥へ奥へと続く土間。ただの漁師町の構えではありません。
答えは海運です。岩瀬は江戸から明治にかけて、日本海をめぐる北前船の寄港地として栄えました。北前船は動く商社のようなもので、寄港地ごとに品を仕入れては次の港で売り、一往復で大きな利益を上げたといわれます。その富の受け皿になったのが、岩瀬の廻船問屋でした。
富は、建物になって残った
大町通りには、その廻船問屋の屋敷が今も残ります。公開されている屋敷に上がると、吹き抜けの広間を太い梁が渡り、船で運ばれた石や銘木が惜しげもなく使われています。海で稼いだ富が、一本の通りに建築として凝縮されている。岩瀬のまちなみは、いわば北前船の決算書です。
それでいて、通りは飾りすぎていません。格子の連なりのあいだに暮らしの気配が残り、軒先に自転車が停まり、夕方には台所の音が漏れてくる。海と運河に挟まれた細長いまちは、端から端まで歩いても疲れない大きさで、この生活感ごと歩けるのが岩瀬の良さです。
いまは職人と酒蔵の通りに
近年の大町通りでは、古い屋敷を活かしてガラスや陶芸の職人が工房を構え、酒蔵を軸にまちが息を吹き返しました。富山市中心部からは路面電車の富山港線が岩瀬まで延びており、車窓がまちなみから海辺へ移り変わる道中も含めて、この港町への正しい近づき方になっています。
北前船の時代が終わっても、この通りは富をしまい込んだ倉庫にはなりませんでした。屋敷の戸は今日も開いていて、人が出入りしています。